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プロジェクトについて
プロジェクト概要
科学・医学・工学の飛躍的な発展は、私たちの生活を豊かにしています。一方で、先端分野の研究を行う際や、その成果を社会に応用する際には、さまざまな倫理的・法的・社会的課題(Ethical, Legal, and Social Issues: ELSI)が生じる可能性があります。近年では、ELSIへの対応を超え、私たちがどのような社会・未来に生きたいかというビジョンから逆算して望ましい研究開発の在り方を考える「責任ある研究・イノベーション(Responsible Research and Innovation: RRI)」の研究と実践が注目されています。
国家の枠組みを超えた研究開発が進む今日、ELSI/RRIへの取り組みも国際的な視点が求められています。このような状況下で、世界各国の大型研究プロジェクトでは、ELSI/RRIへの対応がますます重視され、「応用倫理学の専門家」への期待が国際的に高まっています。
本講座では、このような期待に応えるべく、以下のプロジェクトに取り組んでいます。
神経科学技術のELSIの検討
近年、脳をめぐるさまざまな科学・技術が飛躍的に進展しています。iPS細胞などを体外で培養することで立体的な脳組織を作製する脳オルガノイド研究や、脳とコンピュータを接続する技術である神経技術(ニューロテクノロジー)の発展はその代表例です。
これらの科学技術は、私たちの脳の働きを理解したり、脳に関連する疾患の治療につながることが期待されています。他方、「脳」という人間にとって特別な部位をめぐるこのような科学技術の発展は、社会に様々な不安をもたらしてもいます。国際的にも、「脳神経関連権」(ニューロライツ)という新たな概念が注目を集め、脳をめぐる倫理や法のありかたが問い直されています。
本プロジェクトでは、様々な神経科学技術を横断的に検討し、研究開発を責任ある形で進めるための倫理的・法的な枠組みの提言を目指します。
発生研究のELSI
発生学は、胚の発生、つまり受精卵の成長を研究する学問です。近年急速に進展している発生研究は、ヒトの受精卵が赤ちゃんへと成長するまでの過程を理解することを目的としています。この過程では、最初はたった一つの細胞である受精卵が、さまざまな遺伝子の働きによって複雑に分化し、私たちの体が形成されていきます。
ヒトの発生過程を解明することは、先天性の遺伝疾患の理解や、再生医療・生殖医療の発展にとって不可欠です。しかし、赤ちゃんへと成長する可能性を持つ胚をむやみに研究することには多くの問題があり、現在多くの国ではヒトの胚を体の外で14日以上培養することを禁じています。このため、14日を超える胚の初期発生には依然として多くの未知の点が残されています。そこで近年では、iPS細胞を用いてヒトの受精卵を模した「胚モデル」を作る研究も進展しています。
本プロジェクトでは、こうした発生研究が提起する倫理的・法的・社会的課題の検討を通して、現代社会における発生研究の倫理的・法的枠組みを提案することを目指します。
生殖技術のELSI
生殖―つまり、私たちが子どもをもうける営みのあり方は、さまざまな科学技術によって急速に変化してきています。たとえば、体外受精がはじめて成功したのは1978年ですが、2024年現在の日本では、赤ちゃんの約10人に1人がこの技術によって誕生しています。
生殖にかかわる科学技術は、これまで赤ちゃんをもてなかった人や、健康上の不安がある人、さらには未熟な状態の赤ちゃんなど、多くの人々の助けとなってきました。現在でも技術開発は進展しており、たとえば、赤ちゃんを完全に体外で育てる技術、いわゆる「人工子宮」の実現も視野に入っています。
他方で、こうした生殖技術には、安全性の懸念や、一部の人しか利用できないという格差の問題、また、新しい生殖のかたちが社会的に受け入れられるかどうかなど、さまざま課題もあります。本プロジェクトでは、主に近未来的な生殖技術に注目し、その適切な開発・使用法を幅広い角度から探っていきます。
人・動物・農作物へのゲノム編集のELSI
「ゲノム」とは生物がもつすべての遺伝情報を総称したものです。ゲノム編集は、ゲノムの中の遺伝子を改変することで、特定のタンパク質の機能を変化させる技術です。特定の遺伝子を改変することで、アレルギー物質の少ない卵や、肉量の多い魚、食中毒を引き起こさないジャガイモなどの動植物を生産することが可能になります。また、人の遺伝性疾患に対する治療法の開発も期待されています。
一方で、標的外の遺伝子が意図せず切断されてしまう「オフターゲット効果」など、ゲノム編集技術の安全性に関する懸念も指摘されています。さらに、海外ではゲノム編集を施した子どもが誕生したとの報告もあり、倫理的・法的・社会的な問題も生じています。
本プロジェクトでは、人・動物・農作物におけるゲノム編集に伴う倫理的課題について、優生学・優生思想の歴史なども含めて包括的に検討し、社会がこの技術とどのように向き合うべきか、どのようなルールや手続きが求められるかについて提言を行います。
広島大学は国内有数のゲノム編集技術の研究拠点であり、学内のゲノム編集研究者の協力も得ながら研究を進めていきます。
デジタル・ハプティクス技術のELSI
ハプティクスとは、ギリシャ語で「触る」を意味する動詞「haptesthai(ハプテスタイ)」に由来する言葉で、現代では、人の接触を感知し、力や振動などによって触覚にフィードバックを与える技術を指します。この技術は、スマートフォンやゲームのコントローラーなど、身近な場面で利用されています。
デジタル・ハプティクス技術は、触覚情報をデジタル情報に変換し、触覚の再現や、触覚の強化・拡張を実現する技術です。医療、教育、エンターテインメント分野に加え、工業や建築の現場での応用が期待されています。たとえば、視覚・聴覚情報に加えて、仮想空間内の物体の重さや衝撃をデジタルハプティクスで再現することで、より臨場感のあるゲームやVR体験が可能になります。また、医師がデジタル・ハプティクス技術を使って遠隔地の患者に触覚を伝え、遠隔手術を行うといった未来も考えられます。
さまざまな分野での応用が期待されるデジタル・ハプティクス技術ですが、この技術がもたらす法的・倫理的・社会的問題については十分な検討がなされていません。本プロジェクトでは、広島大学の研究者を中心とする工学系研究グループと連携し、デジタル・ハプティクス技術の研究開発や社会実装の過程で生じうるELSIの検討、およびRRIの理念に基づいた社会実践に取り組みます。
AI技術のELSI
スマートフォンのチャットサービスなど、AI(人工知能)は徐々に私たちの生活に浸透してきています。これまでのAIは、数学の定理証明や、将棋やチェスといったルールが定まった課題に取り組むことが得意とされてきました。しかし、近年では、大量の画像や音声データなどのビッグデータを「学習」することで、画像認識や音声認識、さらには画像や文章の生成も可能となっています。
人材不足が問題となっている教育の現場においても、生徒一人ひとりに合わせた教育プランの提案や、生徒からの質問への回答、テストの採点など、学習効果の向上や業務効率の改善を目的にAIが活用されています。
一方で、AIを活用した教育にすべての人が平等にアクセスできない格差の問題や、個人情報の取り扱いに関するプライバシー保護の問題が懸念されています。また、女性差別を助長する結果を出したAI採用ツールの使用を中止した例があるように、AIが参照するデータに偏り(バイアス)が含まれると、差別を助長するリスクもあります。
本プロジェクトでは、急速に発展している「AI技術」の倫理的課題を、特に教育応用とビッグデータの利活用に焦点を当てて明らかにしていきます。なかでも教育応用については、広島大学の強みである教育学・教育哲学の知見を生かし、AI倫理に関する国際的な議論において独自の立場を確立することを目指します。
障害・医学概念の再考
バリアフリーや合理的配慮への関心が高まる中で、障害や疾患に対する私たちの考え方そのものを問い直すことが、国際的に求められています。
たとえば、身体に障害がある人がバスなどの公共施設を利用できない場合、その原因はその人の身体の障害にあるとする見方が、古くから広まっています。これに対して、社会の環境を変えることで誰もが公共施設を利用できるようになり、変わるべきなのは社会の側であるとする「障害の社会モデル」の考え方が、徐々に支持を集めつつあります。
「障害の社会モデル」は、インクルーシブな社会を築く上で重要ですが、さらに考慮すべき課題もあります。たとえば、同じ「障害」を持つ人であっても、その「障害」に対する考え方や感じ方は人それぞれ異なります。また、障害のある人々を支援するために開発された技術が、実際に障害のある人々にとって本当に有益で喜ばしいものかどうかも、人によって異なるでしょう。さらに、身体障害以外の障害や疾患、たとえば発達障害や精神疾患を持つ人々は、身体障害を持つ人々とは異なる経験やニーズを持つ場合もあります。
本プロジェクトでは、障害や疾患をめぐる倫理的な課題、特に先端科学を用いた支援技術に関する問題を明らかにします。障害・疾患そのものの多様性や、障害や疾患のある人々の意見の多様性を尊重し、真にインクルーシブな社会を築くために、科学技術がどのように貢献できるかを、当事者と協働しながら探求していきます。
ELSI/RRIの理論・実証研究
ELSI(エルシー)とは、新しい科学技術の研究開発に伴って生じる倫理的・法的・社会的課題(Ethical, Legal, and Social Issues)を指します。新しい科学技術に対しては、既存の法規制だけでは十分に対応できない場合や、新たな倫理規範を確立する必要が生じることがあります。そのため、これらの技術が社会にどのような影響をもたらすかを予測し、その受け入れに向けた準備が必要です。たとえば、生成AIによってフェイクニュースが作成されたり、生成AIで描かれたイラストが著作権侵害として裁判に発展した事例などがあり、こうした問題はSNSで取り上げられ、多くの人々の不安を呼び起こしています。また、特定の科学技術を社会がどのように受け入れるかを考えるだけでなく、社会がその技術にどのように関与し、育んでいくかも重要です。
RRIとは、責任ある研究とイノベーション(Responsible Research and Innovation)の略称です。先端技術の「あるべき姿」を多様な利害関係者と協力して構想し、その理想像から逆算する形で研究開発を進める研究実践です。この「あるべき姿」を考える際には、公共の利益に資すること、倫理的に受け入れられること、そして経済的・社会的・環境的に持続可能であることが必要とされています。
近年、ELSIやRRIを考慮した研究開発は国際的に推奨されていますが、どのような取り組みが実践的・規範的に望ましいかについては、いまだ共通認識が確立されていません。本講座では、各プロジェクトにおいて個別の科学技術に関するELSI/RRIに取り組むとともに、ELSI/RRIの取り組み自体を批判的に問い直し、より良い実践方法を広島大学から世界へ発信していくことを目指します。
経験的応用倫理学の方法論の検討
応用倫理学は、先端的な科学・医学・工学をはじめとする多様なテーマについて、価値や義務に関する倫理的な課題を探求する学問です。従来、こうした倫理的問題には、主に専門の倫理学者が理論的な手法を用いて取り組んできました。一方で、経験的応用倫理学は、倫理学の専門家だけでなく、さまざまな人々がこうした問題についてどのように考えているかを調査し、その「データ」を倫理学の探究に活用しようとするアプローチです。
経験的応用倫理学は、データの活用により、従来の理論的研究だけでは得られなかった新たな知見を倫理学にもたらすことを目指しています。また、倫理学者以外の視点を取り入れることで、多様な観点を反映し、倫理に関する議論をより豊かなものにすることも期待されています。
しかし、得られたデータを倫理的な議論や政策立案にどのように活用すべきかについては、研究者の間で未だ合意が得られていません。特に、多くの人々が支持する立場が必ずしも倫理的に正しいとは限らないため、倫理学におけるデータの扱いには慎重さが求められます。
本プロジェクトでは、データを活用した新たな倫理学のあり方を考察し、提案することを目指します。また、他のプロジェクトでも応用倫理学の課題に関して多くの人々の意見を調査するため、このプロジェクトは他のプロジェクトの理論的な基盤作りの役割も果たしています。
科学・医学・工学とアート
最先端の科学技術について十分な知識を持っていたとしても、その技術を積極的に利用するとは限りません。たとえば、食糧問題の解決策として昆虫食が効果的であると理解している人でも、コオロギ食に抵抗を感じる人は少なくないかもしれません。
かつての遺伝子組み換え食品に対する反発や、最近の日本でのコオロギ食に対する拒否反応などの社会的課題が発生してしまった原因の一つは、そうした技術の「あるべき姿」を、そこに住む人々と共に検討していなかったことにあります。ある国や地域に住む人々が望む未来の社会像を把握し、先端科学技術の「あるべき姿」を共に考えることが、こうした技術と社会とのあいだの建設的な対話を実現するための近道です。
アートには、最先端の科学技術が私たちの社会に与える影響を、想像力を駆使して表現する力があります。こうした表現は、科学論文を読むことが難しい子どもたちや、これまで科学技術に関心のなかった人々にも届くかもしれません。また、作品を通じて科学技術の「あるべき姿」について語り合う場を提供することも可能です。
近年、ヨーロッパを中心に、アートと科学・医学・工学のコラボレーションにより、科学技術の「あるべき姿」を探求する試みが進められています。本プロジェクトでは、先端科学・医学・工学技術の「あるべき姿」を考えるうえでのアートの役割を分析し、社会とのつながりを深めるための方法を探ります。
神経科学技術のELSIの検討
脳オルガノイドとは、iPS細胞などを体外で培養して作られる立体的な脳組織です。現在の技術では小さなものしか作れませんが、脳の一部の構造を再現することで、私たちの脳の働きを理解する手助けとなります。
また、原因が十分に解明されていない脳疾患の発症メカニズムの解明や、脳疾患の治療に役立つ技術としても期待されています。こうした目的のために、脳オルガノイドを動物に移植したり、コンピュータと接続したりすることを含めた、幅広い研究が進められています。
一方で、「脳」という人間にとって特別な部位を人工的に作り出す研究は、社会に様々な不安をもたらしてもいます。本プロジェクトでは、脳オルガノイド研究およびその社会への応用によって生じる多様な課題について検討し、研究開発を責任ある形で進めるための倫理的・法的な枠組みの提言を目指します。
発生研究のELSI
発生学は、胚の発生、つまり受精卵の成長を研究する学問です。近年急速に進展している発生研究は、ヒトの受精卵が赤ちゃんへと成長するまでの過程を理解することを目的としています。この過程では、最初はたった一つの細胞である受精卵が、さまざまな遺伝子の働きによって複雑に分化し、私たちの体が形成されていきます。
ヒトの発生過程を解明することは、先天性の遺伝疾患の理解や、再生医療・生殖医療の発展にとって不可欠です。しかし、赤ちゃんへと成長する可能性を持つ胚をむやみに研究することには多くの問題があり、現在多くの国ではヒトの胚を体の外で14日以上培養することを禁じています。このため、14日を超える胚の初期発生には依然として多くの未知の点が残されています。そこで近年では、iPS細胞を用いてヒトの受精卵を模した「胚モデル」を作る研究も進展しています。
本プロジェクトでは、こうした発生研究が提起する倫理的・法的・社会的課題の検討を通して、現代社会における発生研究の倫理的・法的枠組みを提案することを目指します。
生殖技術のELSI
生殖―つまり、私たちが子どもをもうける営みのあり方は、さまざまな科学技術によって急速に変化してきています。たとえば、体外受精がはじめて成功したのは1978年ですが、2024年現在の日本では、赤ちゃんの約10人に1人がこの技術によって誕生しています。
生殖にかかわる科学技術は、これまで赤ちゃんをもてなかった人や、健康上の不安がある人、さらには未熟な状態の赤ちゃんなど、多くの人々の助けとなってきました。現在でも技術開発は進展しており、たとえば、赤ちゃんを完全に体外で育てる技術、いわゆる「人工子宮」の実現も視野に入っています。
他方で、こうした生殖技術には、安全性の懸念や、一部の人しか利用できないという格差の問題、また、新しい生殖のかたちが社会的に受け入れられるかどうかなど、さまざま課題もあります。本プロジェクトでは、主に近未来的な生殖技術に注目し、その適切な開発・使用法を幅広い角度から探っていきます。
人・動物・農作物へのゲノム編集のELSI
「ゲノム」とは生物がもつすべての遺伝情報を総称したものです。ゲノム編集は、ゲノムの中の遺伝子を改変することで、特定のタンパク質の機能を変化させる技術です。特定の遺伝子を改変することで、アレルギー物質の少ない卵や、肉量の多い魚、食中毒を引き起こさないジャガイモなどの動植物を生産することが可能になります。また、人の遺伝性疾患に対する治療法の開発も期待されています。
一方で、標的外の遺伝子が意図せず切断されてしまう「オフターゲット効果」など、ゲノム編集技術の安全性に関する懸念も指摘されています。さらに、海外ではゲノム編集を施した子どもが誕生したとの報告もあり、倫理的・法的・社会的な問題も生じています。
本プロジェクトでは、人・動物・農作物におけるゲノム編集に伴う倫理的課題について、優生学・優生思想の歴史なども含めて包括的に検討し、社会がこの技術とどのように向き合うべきか、どのようなルールや手続きが求められるかについて提言を行います。
広島大学は国内有数のゲノム編集技術の研究拠点であり、学内のゲノム編集研究者の協力も得ながら研究を進めていきます。
デジタル・ハプティクス技術のELSI
ハプティクスとは、ギリシャ語で「触る」を意味する動詞「haptesthai(ハプテスタイ)」に由来する言葉で、現代では、人の接触を感知し、力や振動などによって触覚にフィードバックを与える技術を指します。この技術は、スマートフォンやゲームのコントローラーなど、身近な場面で利用されています。
デジタル・ハプティクス技術は、触覚情報をデジタル情報に変換し、触覚の再現や、触覚の強化・拡張を実現する技術です。医療、教育、エンターテインメント分野に加え、工業や建築の現場での応用が期待されています。たとえば、視覚・聴覚情報に加えて、仮想空間内の物体の重さや衝撃をデジタルハプティクスで再現することで、より臨場感のあるゲームやVR体験が可能になります。また、医師がデジタル・ハプティクス技術を使って遠隔地の患者に触覚を伝え、遠隔手術を行うといった未来も考えられます。
さまざまな分野での応用が期待されるデジタル・ハプティクス技術ですが、この技術がもたらす法的・倫理的・社会的問題については十分な検討がなされていません。本プロジェクトでは、広島大学の研究者を中心とする工学系研究グループと連携し、デジタル・ハプティクス技術の研究開発や社会実装の過程で生じうるELSIの検討、およびRRIの理念に基づいた社会実践に取り組みます。
AI技術のELSI
スマートフォンのチャットサービスなど、AI(人工知能)は徐々に私たちの生活に浸透してきています。これまでのAIは、数学の定理証明や、将棋やチェスといったルールが定まった課題に取り組むことが得意とされてきました。しかし、近年では、大量の画像や音声データなどのビッグデータを「学習」することで、画像認識や音声認識、さらには画像や文章の生成も可能となっています。
人材不足が問題となっている教育の現場においても、生徒一人ひとりに合わせた教育プランの提案や、生徒からの質問への回答、テストの採点など、学習効果の向上や業務効率の改善を目的にAIが活用されています。
一方で、AIを活用した教育にすべての人が平等にアクセスできない格差の問題や、個人情報の取り扱いに関するプライバシー保護の問題が懸念されています。また、女性差別を助長する結果を出したAI採用ツールの使用を中止した例があるように、AIが参照するデータに偏り(バイアス)が含まれると、差別を助長するリスクもあります。
本プロジェクトでは、急速に発展している「AI技術」の倫理的課題を、特に教育応用とビッグデータの利活用に焦点を当てて明らかにしていきます。なかでも教育応用については、広島大学の強みである教育学・教育哲学の知見を生かし、AI倫理に関する国際的な議論において独自の立場を確立することを目指します。
障害・医学概念の再考
バリアフリーや合理的配慮への関心が高まる中で、障害や疾患に対する私たちの考え方そのものを問い直すことが、国際的に求められています。
たとえば、身体に障害がある人がバスなどの公共施設を利用できない場合、その原因はその人の身体の障害にあるとする見方が、古くから広まっています。これに対して、社会の環境を変えることで誰もが公共施設を利用できるようになり、変わるべきなのは社会の側であるとする「障害の社会モデル」の考え方が、徐々に支持を集めつつあります。
「障害の社会モデル」は、インクルーシブな社会を築く上で重要ですが、さらに考慮すべき課題もあります。たとえば、同じ「障害」を持つ人であっても、その「障害」に対する考え方や感じ方は人それぞれ異なります。また、障害のある人々を支援するために開発された技術が、実際に障害のある人々にとって本当に有益で喜ばしいものかどうかも、人によって異なるでしょう。さらに、身体障害以外の障害や疾患、たとえば発達障害や精神疾患を持つ人々は、身体障害を持つ人々とは異なる経験やニーズを持つ場合もあります。
本プロジェクトでは、障害や疾患をめぐる倫理的な課題、特に先端科学を用いた支援技術に関する問題を明らかにします。障害・疾患そのものの多様性や、障害や疾患のある人々の意見の多様性を尊重し、真にインクルーシブな社会を築くために、科学技術がどのように貢献できるかを、当事者と協働しながら探求していきます。
ELSI/RRIの理論・実証研究
ELSI(エルシー)とは、新しい科学技術の研究開発に伴って生じる倫理的・法的・社会的課題(Ethical, Legal, and Social Issues)を指します。新しい科学技術に対しては、既存の法規制だけでは十分に対応できない場合や、新たな倫理規範を確立する必要が生じることがあります。そのため、これらの技術が社会にどのような影響をもたらすかを予測し、その受け入れに向けた準備が必要です。たとえば、生成AIによってフェイクニュースが作成されたり、生成AIで描かれたイラストが著作権侵害として裁判に発展した事例などがあり、こうした問題はSNSで取り上げられ、多くの人々の不安を呼び起こしています。また、特定の科学技術を社会がどのように受け入れるかを考えるだけでなく、社会がその技術にどのように関与し、育んでいくかも重要です。
RRIとは、責任ある研究とイノベーション(Responsible Research and Innovation)の略称です。先端技術の「あるべき姿」を多様な利害関係者と協力して構想し、その理想像から逆算する形で研究開発を進める研究実践です。この「あるべき姿」を考える際には、公共の利益に資すること、倫理的に受け入れられること、そして経済的・社会的・環境的に持続可能であることが必要とされています。
近年、ELSIやRRIを考慮した研究開発は国際的に推奨されていますが、どのような取り組みが実践的・規範的に望ましいかについては、いまだ共通認識が確立されていません。本講座では、各プロジェクトにおいて個別の科学技術に関するELSI/RRIに取り組むとともに、ELSI/RRIの取り組み自体を批判的に問い直し、より良い実践方法を広島大学から世界へ発信していくことを目指します。
経験的応用倫理学の方法論の検討
応用倫理学は、先端的な科学・医学・工学をはじめとする多様なテーマについて、価値や義務に関する倫理的な課題を探求する学問です。従来、こうした倫理的問題には、主に専門の倫理学者が理論的な手法を用いて取り組んできました。一方で、経験的応用倫理学は、倫理学の専門家だけでなく、さまざまな人々がこうした問題についてどのように考えているかを調査し、その「データ」を倫理学の探究に活用しようとするアプローチです。
経験的応用倫理学は、データの活用により、従来の理論的研究だけでは得られなかった新たな知見を倫理学にもたらすことを目指しています。また、倫理学者以外の視点を取り入れることで、多様な観点を反映し、倫理に関する議論をより豊かなものにすることも期待されています。
しかし、得られたデータを倫理的な議論や政策立案にどのように活用すべきかについては、研究者の間で未だ合意が得られていません。特に、多くの人々が支持する立場が必ずしも倫理的に正しいとは限らないため、倫理学におけるデータの扱いには慎重さが求められます。
本プロジェクトでは、データを活用した新たな倫理学のあり方を考察し、提案することを目指します。また、他のプロジェクトでも応用倫理学の課題に関して多くの人々の意見を調査するため、このプロジェクトは他のプロジェクトの理論的な基盤作りの役割も果たしています。
科学・医学・工学とアート
最先端の科学技術について十分な知識を持っていたとしても、その技術を積極的に利用するとは限りません。たとえば、食糧問題の解決策として昆虫食が効果的であると理解している人でも、コオロギ食に抵抗を感じる人は少なくないかもしれません。 かつての遺伝子組み換え食品に対する反発や、最近の日本でのコオロギ食に対する拒否反応などの社会的課題が発生してしまった原因の一つは、そうした技術の「あるべき姿」を、そこに住む人々と共に検討していなかったことにあります。ある国や地域に住む人々が望む未来の社会像を把握し、先端科学技術の「あるべき姿」を共に考えることが、こうした技術と社会とのあいだの建設的な対話を実現するための近道です。 アートには、最先端の科学技術が私たちの社会に与える影響を、想像力を駆使して表現する力があります。こうした表現は、科学論文を読むことが難しい子どもたちや、これまで科学技術に関心のなかった人々にも届くかもしれません。また、作品を通じて科学技術の「あるべき姿」について語り合う場を提供することも可能です。 近年、ヨーロッパを中心に、アートと科学・医学・工学のコラボレーションにより、科学技術の「あるべき姿」を探求する試みが進められています。本プロジェクトでは、先端科学・医学・工学技術の「あるべき姿」を考えるうえでのアートの役割を分析し、社会とのつながりを深めるための方法を探ります。