【研究成果】
小児医療の選択における「親の理由」に新たな論点
―安易な美化に警鐘、意思決定の操作や搾取への懸念必要―

【本研究成果のポイント】

【本研究成果のポイント】
  1. 東アジア地域の事例検討を通じて、「親の理由」の安易な美化に警鐘
  • 医療の現場で、親が子どもを想う気持ちを尊重するためには、尊重すべき場合と尊重すべきでない場合の双方について、理解を深める必要がある。
  • 本論では、日本と韓国における未確立治療の研究および臨床事例の検討を通じて、「親の献身的な愛情」や「子どもに対する責務」がとりわけ大きく期待される社会では、意思決定に際して親が提示する理由が無批判に称揚されることで、不当な利益を得ようとする第三者による意思決定の操作や搾取が生じ得ることを指摘。
  • 「親の理由」の安易な美化によって「親の理由」に付け入る悪意ある第三者から、家族を保護する必要性を示唆。
  1. 「親の理由」を尊重しつつ、その理想化を回避するために必要な指針を提示
  • 小児医療の意思決定において、「親の理由」を適切に評価するための指針を提示。
表1:医療従事者と研究者への提言
医療従事者
  • 患者と親に正確な情報を適切な形で伝えること
  • 親が治療に関する誤解や、過度の楽観に基づいて判断を下していないか確認すること
  • 患者家族の価値観を尊重しつつ、必要に応じて、家族の義務感を形成する固定観念(バイアス)を批判的に検討すること
研究者
  • 自身の利益のために、非現実的な期待を増長させないこと
  • 文化的規範や期待役割が、家族の選択や態度を形成する過程を検証すること
  • 希望、愛、親らしさといった「親の理由」を増強する道徳的価値を批判的に分析すること

【概要】

  • 広島大学大学院人間社会科学研究科の澤井努 特定教授(上廣応用倫理学講座 寄附講座教授兼務、シンガポール国立大学客員教授)は、人間社会科学研究科上廣応用倫理学講座の石田柊 寄附講座助教、小林知恵 寄附講座助教、延世大学校(大韓民国)のJi Hyun Yangリサーチフェロー、Ilhak Lee教授とともに、特定の未確立治療を子どもに施すべきか意思決定を行う場面で、「親の理由」をどのように評価・尊重すべきかを検討しました。具体的には、日本と韓国の事例に基づき、十分な科学的根拠が確立されていない治療法を子どもに施すべきか判断しなければならない状況において、「親の理由」を尊重することは重要である一方、文化的規範や役割期待は親が判断を下す思考の過程に影響を及ぼすことから、過度な「親の義務」に対する要請が、意思決定の不当な操作や搾取に繋がっていないか吟味する必要があると指摘しました。

  • 本研究成果は、2025年10月18日に学術誌「The American Journal of Bioethics」でオンライン公開されました。

【論文情報】

  • 題目:Respect Without Romanticizing: Cultural Values, Parental Reasons, and Unproven Pediatric Treatments in East Asia
  • 著者:Ji Hyun Yang1 , Shu Ishida2 , Chie Kobayashi2 , Tsutomu Sawai2,3 , Ilhak Lee1
  1. Yonsei University, Republic of Korea
  2. 広島大学大学院人間社会科学研究科
  3. Yong Loo Lin School of Medicine, National University of Singapore, Singapore

*責任著者

 

  • 雑誌:The American Journal of Bioethics
  • URL: https://doi.org/10.1080/15265161.2025.2554803
  • DOI:1080/15265161.2025.2554803

【背景】

  • 現在、日本や米国では、小児医療において、保護者と医療従事者が情報共有しながら治療やケアの目標・方針について合意形成する方針が取られています。このような意思決定の方針を採用した場合、医療の現場では、保護者の意見と医療従事者の意見が一致しないことがあります。
  • 従来、こうした意見の対立が発生した場合、親が決定を下した「理由」ではなく、親の決定が子どもの最善の利益に合致しているか、子どもに危害を生じさせる可能性がないかといった「結果」を重視する倫理的議論が行われてきました。
  • これに対し、Bryanna MooreとAmy Caruso Brownは、子どもの治療方針を決定するための「親の理由」が、倫理的な意思決定において、以下の影響を与え得ることを指摘しました。
    表2:小児医療の倫理的な意思決定において「親の理由」が与え得る影響
    信頼の構築 選択理由について対話を行うことで信頼を構築し、利害のすり合わせ・妥協案の模索・意見修正の機会を得る
    価値評価の再考 利益や負担などの価値評価の方法を見直し、親の選択が子どもの最善の利益を目指しているかを見極めるための指標になる
    固定観念の発見 選択理由の検討を通じて、医療従事者と親が抱いている固定観念を発見するきっかけが生まれる
    • 表2で示されているように、「親の理由」は合意形成を行う過程で一定の影響を与える可能性があります。親が子どもを想う気持ちを尊重し、話し合いを続ける中で、医療従事者の固定観念が見つかることさえあるかもしれません。
    • このように、小児医療において「親の理由」の尊重が重要である場合、それを利用することで利益を得ようとする第三者から家族を保護する枠組みが求められます。すべての「親の理由」が尊重されるべきならば、第三者が自分の都合の良いように親の判断を操作した結果作り上げられた理由や、誤情報に基づいて形成された理由など、家族のためにならない「親の理由」でさえも、尊重しなければならないからです。
    • すべての「親の理由」が尊重されるべきでないのであれば、尊重されるべき場合だけでなく、尊重されるべきでない場合についても議論する必要があります。尊重されるべき場合と、尊重されるべきでない場合の双方について慎重に議論を行うことで、どのような理由が、なぜ尊重されるべきかについて、理解を深めることができます。
    • こうした背景のもと、本論では、「親の理由」の尊重が搾取につながった事例を分析することで、尊重されるべきでない場合について検討しました。

【研究成果の内容】

  • 「親の理由」がすべての場面で尊重されるべきでない理由の一つに、文化的・社会的規範の影響に対して親が心理的に脆弱であることが挙げられます。特に、重篤な疾患を抱える子どもに対して、科学的根拠が確立していない実験的な治療を施すかどうかの選択を迫られた場合、難しい判断に直面した親の熟慮や判断が、不当な利益を得ようとする第三者によって操作・搾取されてしまう危険性があります。
  • 本論では、具体的な事例として韓国の「ファン・ウソク事件」と、日本の「臍帯血(さいたいけつ)※1流出事案」を分析し、科学的根拠に基づかない誤った期待に基づく判断や、文化的に形成された親の責任や役割に対する価値観が、不当な利益を得ようとする第三者によって利用されることによって、家族が搾取に対して脆弱になることを示しました。
表3:各事例の概要と分析
ファン・ウソク事件
概要
  • 2004年にヒトクローン胚からのES細胞作製に世界で初めて成功したとする論文の捏造が発覚した事件。
  • 当初は研究に用いられる卵子の不適切な入手経路が問題視されたが、のちに研究成果そのものが捏造であったことが確認された。2006年には、正式に論文が撤回された。
  • この研究に対して、脊髄損傷による麻痺を持つ12歳の少年が細胞提供、母親が卵子を提供、父親が倫理審査委員会のメンバーとして研究を承認、という形で家族全員が研究に関与していた。
分析誤情報:
  • 家族は誤ったメディア報道に触れ、科学的に実証されていない医学研究に関与しているという認識を持つことができなかった。

文化的背景:

  • 研究に協力し、子どもの回復のために尽力することは、「親としての道徳的義務」として広く認識されており、当事者が「家族を中心とした意思決定」を周囲の人々から期待されていると感じる可能性が十分にあった。
  • 韓国では、深い感情的絆によって、家族に献身的な愛情を注ぐ「情(jeong)」を美徳とする価値観があり、母親の卵子提供を後押しする強力な「理由」となり得た。

思考の偏り(バイアス)/判断の操作:

  • 専門家が科学的事実に基づく判断よりも、親が抱く実現困難な期待に基づく判断を優先する動機が存在し、思考の偏り(バイアス)によって、子どもの最善の利益に繋がらない「親の理由」を支持する可能性があった。
臍帯血(さいたいけつ)流出事案
概要
  • 経営破綻した民間の臍帯血バンクから流出した臍帯血が販売され、国に届出がなされていない違法な再生医療に使用された事件。
  • この事件を受け、2017年9月に厚生労働省が実施した調査では、調査に応じた医療機関の三分の一以上が民間の臍帯血バンクに臍帯血を提供しており、提供者に対する十分な説明や適切な同意取得が行われていない事例が多数あることが判明した。
分析誤情報:
  • 一部のクリニックやインフルエンサーが、当時、科学的な根拠が確立していない実験的な治療に対して、現実的ではない期待に基づく情報を発信していた。

文化的背景:

  • 子どもに対する「無償の愛」や「諦めない心」という文化的に形成された価値観に基づいて、科学的事実を十分に吟味せず、実現可能性の低い期待をより重みづけて意思決定を行う可能性があった。

判断の操作:

  • 不当な利益を得ようとする第三者が、科学的な事実ではなく実現可能性の低い期待によって形成された「親の理由」を利用することによって、親の判断が歪められる可能性があった。
  • 表3の分析結果が示すように、「親の理由」の安易な称揚は、親の選択を操作しようとする第三者に対して、家族を脆弱にする危険性があります。
  • そのため、表1で示しているように、重篤な疾患を抱える子どもの治療方針を判断する際は、親が提示する「理由」を尊重しつつもそれを批判的に検討し、他者の利益のために悪用されないよう注意を払うことが推奨されます。
  • 家族や周囲の人々も、安易に「情」や「諦めない心」を親の美徳として無批判に称揚するのではなく、治療選択の理由を客観的に検討することで、誤った情報や過度な義務感に基づいた判断を行なっていないか検討することが要請されます。

【今後の展開】

  • 小児医療における親の理由の重要性は指摘されているものの、親の理由が小児医療の実践において、どのような役割を果たすべきかについては十分に議論されていません。子どもの治療方針を決定する際に、親の理由が影響力をもつべきか、とりわけどのような条件のもとで影響力をもつべきかを議論していくことが求められます。
  • 本論では、東アジアの事例研究を通して、地域文化に根ざした思考様式が重篤な疾患を抱える子どもの治療選択に与え得る影響を検討しました。今回は、「親の理由」が倫理的な意思決定に与える影響について理解を深めるため、特定の集団や文化で受け入れられている期待や価値観が悪用される可能性を示しました。しかし、こうした期待や価値観が、あらゆる場面で悪い影響を与えるわけではありません。東アジア地域のより包括的な事例分析や、他地域の事例分析の蓄積によって、「親の理由」を形成する文化的構造の解明が期待されます。

【謝辞】

本研究は、以下の支援により実施しました。

  • 広島大学未来共創科学研究本部 共創科学基盤センター

【参考資料】

  • Moore, B., & Caruso Brown, A. (2024). Do Reasons Matter? Navigating Parents’ Reasons in Healthcare Decisions for Children. The American Journal of Bioethics, 25(11), 6–21. https://doi.org/10.1080/15265161.2024.2388730

【用語解説】

※1:臍帯血(さいたいけつ)

へその緒や胎盤に残る血液のこと。血液をつくる造血幹細胞が多く含まれている。そのため、白血病などで正常に血液を作れなくなった患者に移植することで、血液をつくる力を回復するための治療に用いられる。

提供された臍帯血を移植に活用できるよう、適切に調製・保存・検査する機関として、さい帯血バンク(臍帯血供給事業者)がある。臍帯血流出事案を受け、公的さい帯血バンク以外の事業者による不適切な臍帯血の提供を禁止するため、2019年3月14日から改正「造血幹細胞移植法」が施行された。

広島大学 大学院人間社会科学研究科

上廣応用倫理学講座

〒739-8521

東広島市鏡山1丁目7番1号 総合科学部A棟401号室

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